習志野市は1986年(昭和61年)4月26日にアメリカ合衆国アラバマ州タスカルーサ市と姉妹都市提携をしました。両市はそれを機に国際交流を積極的に推進し、中高生をはじめとする市民の交流や、文化、産業、スポーツ等、多岐にわたる交流活動を展開してきています。本協会は国際交流部会を中心に、「両市のよりよい交流を目指して」活動をしています。
国際交流部会の活動は、国際交流部会のページをご覧下さい。
タスカルーサ市はアメリカ合衆国南部のアラバマ州中西部に位置し、人口約10万人。「タスカルーサ」は「黒い勇士」を意味するアメリカ先住民の酋長の名前に由来しています。日本との時差は15時間(夏時間では14時間)。人々はアメリカ南部の温かいもてなし「サザン・ホスピタリティ」で迎えてくれます。
タスカルーサ市は1826から1846年までアラバマ州の州都でした。しかし、その後、州都はモンゴメリ市に移り、南北戦争(1861〜1865年)では町のほとんどを失いました。終戦後、産業と農業が復興し、20世紀にはアラバマ大学の発展やさまざまな工場を誘致することによって現在の都市に成長しました。市内には1831年に設立された全米で最も歴史と伝統のある大学の一つであるアラバマ大学のほか、800年前、北米大陸で最大の都市であった場所を公園や博物館に整備した「マウンドビル考古学公園」、子どもたちの好奇心を育てるよう展示物全てに触れることができ、日本の家屋やおもちゃなども展示している「こども博物館」など、教育施設も充実しています。
タスカルーサ市とアラバマ大学は、交流の一環として習志野市が寄贈した桜が咲き誇る3月に毎年「桜まつり」を開催しています。習志野市国際交流協会は毎年桜まつり俳句コンテスト、アートコンテストに作品を送っています。
アラバマ大学は米国南部に位置するアラバマ州のタスカルーサに1831年に設立され、現在学部、大学院生、合計2万人を越す南部屈指の総合大学です。本部のあるタスカルーサばかりではなく、宇宙ステーションのあるハンツヴィルにも工学キャンパスがありますし、アラバマ州の最大都市であるバーミングハムにも医学部キャンパスがあります。世界の最先端をゆく癌治療研究所がマスメディアで取り上げられる際には、このバーミングハムキャンパスの研究が紹介されますので、ご記憶の方もいることでしょう。
アラバマ大学は20年以上にわたり、タスカルーサの姉妹都市である習志野市の青少年の交流プログラムや英語研修にも深く関わってくださり、多くの高校生がお世話になっています。習志野市内には、タスカルーサ訪問の思い出満載の素晴らしい経験をした青少年が200名以上います。
ここでは、習志野市民そして青少年のために関わりが深いアラバマ大学の一部について紹介いたします。
使用言語は英語と日本語です。NIAが参加したのは第3回目の平成4年(1992年)で365名分の作品を送りました。以後毎年、習志野市教育委員会の協力をいただき最盛期には777名分の作品を送りました。
The Annual Sakura Art Contestへの第1回目参加は平成10年(1998年)のことで主催はタスカルーサ国際姉妹都市協会である。毎年テーマが決められています。 応募年齢は13歳から18歳迄で、応募要件は水彩、油彩、パステル、ペン画、墨絵等。作品の大きさは60cm × 75cm以内。入賞者には主催者より賞状が贈呈されます。
外国人が、英語の力をつけ、アラバマ大学の学部に進級するため、あるいは、他の大学の学部に進学するため英語の勉強をしている、または、英語の力を身につけて母国に帰るための人々のための英語研修機関です。
平成19年度まで習志野市の高校生が姉妹都市交流でタスカルーサを訪れた際に約10日間英語を勉強した施設です。
一日の授業が終了した後で、バーベキューやサッカーなどのレクレーションなども組み込まれています。世界各国の若者が学んでいるので、習志野の高校生が、ブラジルやトルコのからの生徒と交流するという楽しい出来事もありました。